うつ病は、肉体的・精神的ストレスに耐え切れなくなったり、大きな心理的影響を受けたりした際に発症することがある病気です。
抑うつ気分、意欲や興味の低下、思考の停止（考えられない）、食欲低下、不眠、持続する悲しみ、憂い、不安などの症状がみられます。
現代では、うつ病への治療というと、休養、心理療法、薬物治療、運動療法などが一般的です。
一方で東洋医学では、伝統的な「心の働きは内臓の調子と密接な関係があり、内臓の調子を整えると精神が安定する」と考えて対処していました。
たとえば
「思慮過度、考えすぎ」には「脾」
「恐がり」には「腎」
「怒りっぽい、イライラ」には「肝」
に対する治療を行うのです（現在とは内臓の概念が少し違いますが……）。
感情と臓器が結びつくというのは、現代の感覚からすると不思議ですね。
ただ、精神の変化を、単なる気の持ちようではなく身体の変化として捉えるという点では、現代の医学に通じているのかもしれません。
最近の基礎研究では、鍼灸施術がうつ病治療に寄与する可能性が示されています。
たとえば、うつ病に関わる脳内の物質への影響です。
うつ病には、セロトニンやノルアドレナリンという神経伝達物質の減少が関連すると考えられています（この考えを「モノアミン仮説」といいます）。
この説にもとづき、抗うつ剤の多くには神経伝達物質の濃度をあげる作用があります。
ただ、抗うつ剤は有効な薬であるものの、効果を感じられない患者さんも一定数いるのが現状です。そこで、モノアミン仮説外の原因としてもさまざまなものが考えられています。
最近注目されているのが、脳由来神経栄養因子の減少、NPY（脳内の神経の働きに関連する物質）の減少などの要因です。
うつ病モデルのマウスやラットに鍼施術を行った研究では、鍼施術が脳内栄養因子を増加させ、結果としてNPYを増やす可能性があると示されました。*¹*²
つまり鍼灸施術は、抗うつ剤と違う方法でうつ病にアプローチできる可能性があるということです。
薬の効果がでにくい患者さんへの応用が期待されます。
うつ病などの精神疾患にともなう身体症状にも、鍼灸施術で対応できないかという試みがなされています。
人は、しばしば心の苦痛を体の苦痛として感じます。
「不安で胸が苦しい」「気をはって肩が凝る」「心配で胃が痛い」などの感覚は、みなさんも経験があるのではないでしょうか。
うつ病の場合にも、頭痛や吐き気といった身体症状がみられることがあります。
身体症状は抗うつ剤での対応が難しく、安定剤も人によって合う合わないがあります。
そこで行われているのが、身体症状に鍼灸で対応する研究です。
凝りや痛みなどが取れると、同時に不安感が軽くなるとおっしゃる患者さんもいます（私も現場で実感します）。
筋の凝り緩和や自律神経の調整は鍼灸の得意分野。身体症状の苦痛を減らすという面からは、かなりうつ病の方の力になれると思っています。
環境的なストレスがかかった場合以外に、更年期によってうつの症状が出る場合もあります。
原因とされるのは、ホルモンバランスの変化です。
更年期に起こるエストロゲン（女性ホルモン）の欠乏が、脳由来神経栄養因子（BDNF）を減少させ、結果として神経ペプチドY（NPY）が減少。うつ病や不安症状をひき起こすと考えられています。
この更年期うつの改善にも、鍼灸施術が役に立つ可能性を示した基礎研究が報告されています。
卵巣摘出ラット（更年期障害モデル）に鍼を打った実験です。
実験によると、ラットに鍼刺激を行ってもエストロゲンは上昇しませんでした。
しかし、成熟BDNFとそのレセプター、そしてNPYは上昇し、結果的にうつ病様行動の改善がみられたのです。*³
ホルモンをとおして行われていた脳への働きかけが、ホルモンが増えていないにもかかわらず起こったということになります。大変興味深いですね。
まだ実験段階ですが、ヒトへの応用が期待されています。
☆うつ症状以外にも、更年期のお悩みは鍼灸施術での改善が期待できるものがあります。
興味のある方は、こちらの記事もご覧ください。
鍼灸施術がうつ病改善にもたらす効果については、着々と研究が進んでいます。
また、施術が直接およぼす影響以外にも、心身のつらさが和らぐことで投薬やカウンセリングといった治療が続けやすくなるメリットも期待できます。
うつ病で、特に身体のつらさでお困りの方には、＋αの選択として鍼灸施術が力になれるかもしれません。
【参考文献】
＊1：Acupuncture Treatment for Social Defeat Stress.Kawanokuchi J, Takagi K, Tanahashi N, Yamamoto T, Nagaoka N, Ishida T, Ma N.Front Behav Neurosci. 2021 Jul 28;15:685433. doi: 10.3389/fnbeh.2021.685433. eCollection 2021.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/34393735/
＊2：Antidepressant effects of acupuncture in a murine model: regulation of neurotrophic factors.Yamamoto T, Kawanokuchi J, Nagaoka N, Takagi K, Ishida T, Hayashi T, Ma N.Acupunct Med. 2023 Feb;41(1):38-47. doi: 10.1177/09645284221085279. Epub 2022 May 17.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/35579004/
＊3：An estradiol-independent BDNF-NPY cascade is involved in the antidepressant effect of mechanical acupuncture instruments in ovariectomized rats
Su Yeon Seo, Ji-Young Moon, Suk-Yun Kang, O. Sang Kwon, Sunoh Kwon, Se kyun Bang, Soo Phil Kim, Kwang-Ho Choi & Yeonhee Ryu. Scientific Reports volume 8, Article number: 5849 (2018)
https://www.nature.com/articles/s41598-018-23824-2