• テーラメイドな鍼灸を目指して

鍼道秘訣集 序文3

然るに、当流は十二けい、十五絡脈らくみゃく任督にんとく両脈りょうみゃくかんがえ針せず、根本こんぽんの五ぞう心眼しんがんを付枝葉えだはかまわず、

夢分流では、正経、絡脈、奇経という経脈を考慮せず、人体の根本である五臓六腑を対象に鍼をします。

しかしながら、我々の流派は、十二経脈や十五絡脈、任脈と督脈などの経絡に基づいて針を打つことはなく、根本である五臓六腑に心の目を注ぎ、細かい理論や表面的な症状にはこだわりません。

 

針は心なりと和わくんして、心を以て心につたえ教外別伝きょうげべつでん不立文字ふりゅうもじごうするが故に、他流のごと遠理えんり廻遠まわりとおなる療治りょうじほん更に之なし

 

「針」は「心」である。音が同じ漢字は、意味が関連するものがあります。

和訓とは、漢字にやまと言葉を当てる事です。「心」は「こころ」と和訓します。

「教外別伝、不立文字」は禅宗の言葉で、悟りは言語ではなく心から心へ伝えられるもの、言語に起起こせないものという意味である。針もそうであると夢分は述べている。

遠理は、仏教用語では執着を捨てた悟りの境地を指す。

針は心であり、和訓するとこころである。針は心から心に伝承されるもので、言葉や文字による教えとは別に伝えられるもので、文字には起こせないものとされそれゆえに、療治は病の本質へ行うために他の流派のように回りくどい方法は一切とりません。

 

心裏こころのうちに奥義をおさめ、唯一心の持様もちよう/rt>を大事とするなり。

せん一のところまもる事成難きがゆえに、管針くだはりさし針など名をかえしなかえて人の心をとらかす。

「専」は一途、「心の持ち様」は心のあり方や考え方、心構えなどの意味です。

指針は、捻り鍼、捻鍼を指します。

 

夢分流では心のうちに奥義をおさめ、ただ一つ心の持ち様を大事にします。しかし、一途にこれを守ることは困難なめ、管鍼法をやったり捻鍼法をやったりと、心がたぶらかされて様々な鍼法へ手を出してしまうことになります。

 

たとえば、手かく尊円そんえん流の御家の筆法成難きゆえに、色色と書替かきかえまぎらかすが如し。

 

「尊円流」は南北朝時代に尊円入道親王が起こした書道の流派です。

 

例えば字を書くことを生業とする人が、尊円流の書き方が難しいからといって、色々な書き方の字を入れてごまかすようなものです。

 

この故に、多くあやまち有て、十に九非ひごうの死をする人数あまたなり。

多くの誤りをはらみながら鍼をすることになり、10人中9人も非業の死をとげるような事になります。

 

まことかなしむべしあわれむべしとおもう止難やみがたきよって、万人の死をもすくい、千万の鍼医しんいあやうき事をなさ

 

「念」は常に心の中にあって往来するおもいです。「心止難」は、そのおもいが心の中で止めることが出来ない様を表現しています。「万人」は多くの意味、「千万」は、危うき事がはなだはだ多いことを表現しているのであろうか?

 

とても悲しく可哀そうという思いが心のなかで行き来して止まりません。これでは多くの人々の死を救うことも、様々な鍼医の危うい所を正すことが出来ません。

 

ごうとらしめんがため秘中ひちゅう秘事を書かきあらわして、世ほうとするものなり。少もうたがいをしょうずることなかれ

「号」は称されるの意味ですので、「上手号を取しめんが」は、名人と言われるようにぐらいの意味になるのでしょうか。

だから私は、多くの鍼医が名人と称されるように、秘伝中の秘伝を文字に起こして世の宝にしようとしました。少しも疑いを持つような事がないようにしてください。