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鍼道秘訣集 一 当流他流之異

一 当流他流之異(かわり)

当流、夢分流の特徴、他流との違いについて述べましょう。


他流の針を誹謗そしるにはあらず。

けして、他流の鍼を非難したりけなしたりするわけではありません。


我ももと他針をならう事、九流なり。

私も、最初は、9つの他流派の鍼を習っていました。


他流にては病者にわづらいの様子をきき、療治をなせども、多くは病人に草臥くたびれ来易きたりやす

「草臥」は疲労を指します


他流では、症状を聞いて治療を行いますが、疲れてしまう病人が多いです。


当流の宗とする処は、病人に病証びょうしょうとうまでなくはら兎角とかくの病しょう此方こなたよりくわしことわるしかのみならず、百日針すれども、漸漸ぜんぜんけんはあれども、他流の如く草臥の来る事なし

夢分流では、問診でなく腹診で病証を判断します。腹診について診ではなく「観」と述べているのは興味深いです。観には、物事を視覚によりじっくり見て観察する、本質をとらえる、考えるという意味があります。本節を最後にも「観」について述べている所から、腹部の望診を重要視していた可能性もうかがえます。

「漸漸」には、物事が徐々に進んでい行くという意味があるので、腹部打鍼は頻繁に鍼をして、徐々に病を癒してゆくというものなのかもしれません。


当流で大事とするところは、病人に病の状態を問いて病証を判断するまでもなく、腹部を観て、いずれにせよ病証を問診より細かく判断するばかりでなく、百日鍼してもだんだんに効果はありますが、他流派のように患者が疲労するという事はありません。


これ、当流の名なり。世ぞくことわざ品玉しなたまたねなければ成難なりがたしというが如く、蔵府ぞうふの居処に依て、病証かわるそのかわる処を以て、病証をもしりまた、生死の善悪をあきらかにす。

「品玉」は、手品の事です。

「居処」は、邪気の居所を指しているのだと思われます。


この事は当流にとって名誉なことです。世俗の諺に、手品に種がなければ成り立たないというように、邪気がどの臓腑にあるかによって病証はかわります。その違いによって病証を知り、また生死の善悪、つまり予後が明らかとなります。


当流の一一妙をあらわかくを左にあらわす。心眼しんがんつけみるべきこともっぱらなり。

「一一」は、一つ一つ、それぞれの意味です。「格」は、方法を指すと思われる。
原文は、縦書きであるため「左に顕す」は、左記に述べるの意味となります。


当流の一つ一つの優れたところを現すための方法を、左記で述べましょう。心の目で観ることに集中してください。