• テーラメイドな鍼灸を目指して

二 当流臓腑の弁 5 胃の腑

胃の腑は鳩尾の下とへその上とのあいだに住する。これ、人間の大事とするところ、一身の目付処とす。万物、土り生じてまた終り土に入る。

「目付」は武士の職の一つです。胃は全身の維持と関連するので目付処と表現したのかもしれません。


胃の腑は、鳩尾の下と臍の上との間にあります。
これは、人体においてとても大事な部位で、一身の目付処です。

万物は、土より生じてまた土にかえります。


他流には、胃の腑、きょやすし、あまあじわいの物、脾胃ひいの薬とてあまき物を用い、補薬密丸等を用る事、心かたし。

五行色体表における五味では「甘」は土に属しており、脾胃を養う味とされます。

「密」は、「蜜」の当て字だと思われます。漢方薬の丸薬は、蜂蜜で練り丸められていました。


他流では、胃の胕は虚しやすいため、甘味のする補剤の丸薬などを用いますが納得できるものではありません。


そのゆえは、日夜朝暮くらう処の物は、皆中に入がゆえに餘の臓腑とちがい、実し易きにり、かえって邪気となるゆえに、食後に草臥くたびれ、ねむりを生じ、さて火、さかんなるが故に食物をやき、胃かわくにより、食を沢山に好み喰う。

「実」とは、停滞や余剰により邪気が満ちた状態です。胃には飲食物がどんどん入ってくるため邪気が生じやすいとされます。邪気の停滞は、火邪を生じるため胃火がさかんになります。


なぜかと申しますと、日夜食する飲食物は、みな胃に入ります。ですからそれ以外の臓腑と違って実しやすく、入った飲食物が邪気となってしまうゆえに、食後に疲れ眠くなります。そして胃火が盛んになると飲食物を焼き、胃が乾くためさらに沢山食べたくなります。


その終りに手足へはれを出し、土、くるしめば、腎水をかわかし、脾土へ吸すいとられぬるによって、腎の水も共に乾き、火となり、邪と変じて小便とどまる。

土と水には相剋の関係があり、土の変調は水へ影響します。後の文中にこれについての解説があります。


ついには手足が腫れ、土が病んで乾いた脾土が腎水を吸い取り、腎の水もともに乾き、火邪が生じて尿閉を起こします。


加様の病い、もとの腑のじつし、邪となる事をわきまえず、腎虚じんきょ虚なれば、補薬等の甘味を用いよろし、など云て用る時は、たちまち心腹になづみ、返て重病となる。

「なづみ」は、停滞するの意味です。


もともと胃の胕が実であったことをわきまえず、腎虚や脾虚だからと補藥などの甘味を用いた結果として生じた邪気が心腹に停滞して却って拾秒になったのが、このような病の原因です。


これ多々ただもえる火にたきぎそえるが如し。又、あまき物、腎水をもますなど云う人有り。これ、以てあやまりなり。

「多々」は「ただ」の当て字か、もしくは「数が多い事」も含めての表現か?


これは、ただ燃える火に薪を投入するようなものです。また、甘い食べ物は腎水を増やすなどという人がいるが、これは誤りです。


あまきは脾土の味い、土剋水の理なるにより、腎水の為には大敵なり。何ぞ薬と成べき。加様の違いにていくべき病人も死に趣くを非業ひごうの死と号す。当流の養生針などには、兼て脾胃、じっやすく、邪気と成やすく龍雷相火りゅうらいしょうかの肝、実しやすければ、病と変ずる事をさとりて、肝胃のたかぶらざる様にと針す。

「龍雷相火」について考察したいと思います。「龍」は中国の幻獣で、平素は水中に住まうが時が至ると水を離れて天へと昇ります。五行との関係では木に属す青龍があります。易では「震」の卦が雷の象徴で、後天八卦では東に配当され、五行では木に属します。相火は、腎が宿す臓腑を温める陽気で、肝にて旺盛になります。龍は水に住まうが木に属することは、五行の相生関係で水が木を生むことや相火の腎水と肝木との関係と重なり、また雷も木に属する事から、龍雷相火は、肝相火をいいかえているようにも見えます。


甘は、脾土の味です。土剋水の法足からも腎水にとっては大敵です。どうして、薬となるでしょうか?

このような間違いは、生きるべき病人も死に赴いてしまいます。まさに非業の死です。脾胃は実しやすく邪気をなしやすく、また龍雷相火の肝も実しやすく病となりやすいことから当流の養生鍼では、肝胃が亢進しないように鍼をします。