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「疳の虫」について ~子供の困った症状は「虫」のせい~

  • 2018年11月9日

以下はかなり人文系の専門的なお話になります。 ⇒ 一般の方向けの「疳の虫」の解説

 大阪を中心として関西では200年くらい前から疳の虫治療として小児はりと言われる刺さない鍼を使った治療がおこなわれています。「疳(かん)の虫」というのはなんですか?というのが今回のテーマです。日本では古くから子供に「疳」という病気があってそれは「虫」のせいによって起こるというような感じで言われています。

 中国医学の古典、『諸病源候論』(610)に「疳」の記載があり「甘味を嗜むことで腸胃に蟲が生じ,府蔵(内臓)を浸食する病とする」とあってもともとは甘いものの食べ過ぎで虫が生じる内臓の病気という概念でした。日本においては『医心方』(984)には「疳」はありませんが、ひきつけの病として「癇」が紹介されています。「疳虫」の登場ははっきりとはしてませんが、1500年ごろだと推測されています。1696年の香月牛山の『牛山活套』では「疳疾~腹内ニ積塊アツテ諸虫トナツテ怪キ病ヲナス也。是皆乳母ノ攝羪(摂養、養生の事)ニソムキ其熱乳ヲ飲ムシムレバ疳虫を生ジテ怪キ病ヲナス也。」と記載されています。

 長谷川らによると、もともとの中国医学の「疳」が日本独自に概念が変化し「癇(かん:ひきつけ)」と「夜啼(やてい:夜泣き)」と混じってごった煮になって、現代の「疳の虫」につがなるとのことです。私は小さいころ「癇癪」(かんしゃく:怒りやすくあばれる)で悩みましたが祖母には「疳の虫」のせいと言われました。また「疳の虫は、肝(イライラや)の虫でもあるんだよ」という話を鍼灸の先生から聞いたこともあります。(音がらみで意味が混じるというのはよくあります。)

 現在、一般に何が「疳の虫」の症状として認識されているのかについては調べがつかなかったので有名な疳の虫の薬、樋屋奇応丸(ひやきおうがん、ご存知ですか?)の効能にあげられているものを引用します。「小児の神経質、夜泣き、かんむし、ひきつけ、かぜひき、かぜの熱、寝冷え 下痢、消化不良、乳吐き 食欲不振、胃腸虚弱」となっています。

 私個人の認識としては、本質は小児が成長に応じて外界適応の際に生じたストレス症状と捉えています。メインが「神経質、夜泣き、ひきつけ、乳吐き、ぐずり」で子供によって消化器症状が出たり、風邪を引きやすくなったり、体重が増えなかったりと様々な症状が出るのだと考えています。小児のストレス関連症状、神経症に該当すると考えられます。いつからかこういう症状が「虫のせい」になっています。

 病気を「虫のせい」にするのはとても重要な意味があるのだと思います。日本では、心理的な働きと虫を絡める傾向がありました、だから「腹の虫が悪い」「虫の居所が悪い」(イライラは虫のせいなのです。)「虫の知らせ」「弱虫」などの表現があったり、文学では、例えば敵討巌流島では「~死んだと聞ならば、母を慕うて虫も出て、もしも病にならふかと~」とあったりします。

 長谷川らは、日本では心理的な方向からの病因は、「霊因」(崇り、鬼、狐ツキなど)、次いで「虫」、「心因」という変遷をえている、そして「虫」が棲む所は呪術と医術の入りあい地であると述べています。時代が進み、やがて「心因」は「脳、神経伝達物質」の問題に変わってゆきます。(現在では多面的な見方へシフトしています。)

 病因の変化は、日本人の自我の発達・外界の認識と関連があり、わけのわからないものから(その時の人が)認識しやすい手におえるものへの変化です。いろんな病気の虫が役目を終えて引退して行く中、「疳の虫」は明治以降も生き残ってしまいました。

 子供の色々な問題を心の持ちようにも脳の問題にすることに抵抗があったのかもしれません、正体不明の便利な「疳の虫」はちょうど良い責任の押し付け先だったのだと思います。余談ですが10年ほど前にいろんな問題を妖怪のせいにしてしまうという「妖怪セラピー」(2006)というのが考案されたりしています。ちなみに「妖怪ウォッチ」(2013)より早いので、私は元ネタなんじゃないかと思っています。

 話を戻します。「疳の虫」に対してどういう治療法があるのかですが「薬」、「鍼」、「まじない」の三つの手法が行われています。薬は有名どころでは樋屋奇応丸、宇津救命丸、孫太郎虫(ヘビトンボの幼虫!)、鍼は各種小児はり、まじないはお寺などでの虫封じの祈祷、虫封じのお札、塩を使った虫抜きなどがあります。薬は分かりませんが、鍼とまじないに関しては「虫」に大半の責任を押し付けるのがポイントでないかと思います。子供の困った症状、行動は子供のせいじゃない、お母さんのせいじゃなくて取りついた「疳の虫」が悪いんだと。

 私は病弱で、よく祖母に小児はりへ連れて行かれました。子供の時に受けた小児はりは「虫切り」と呼ばれていて、おばあちゃん先生が鍼をしたり関節を鳴らしたりしたあとに「虫が死んだ」と言っていたのをよく覚えています。手のひらを塩で揉んで虫を抜く方法では実際に指先から白い糸のような「虫」が出てくるそうです!トリックがあるパフォーマンスかもしれませんが心理効果は絶大でしょう。

最後に

 はり師は小児はりをつかって「疳の虫」を退治していました。疳の虫がおこなう悪さは、時に取りつかれた子供だけじゃなくてお母さんやお父さん、そして周囲のを苦しめます。四国の某福祉施設での事例では、発達障がい児への小児はり治療の導入により子供の頭痛や肩こりなどの症状がとれるとともに行動障害が緩和され、そして職員の燃え尽きが防げるようになりました。

ときおりニュースで流れる不幸な事件、子供の非行は小児はりの疳の虫退治がもっと広まれば防げるのではないかと切に思い、期待し、貢献したいと思っています。

長野仁 東昇「戦国時代のハラノムシ」国書刊行会から

 

私が使用している小児鍼です。
左の三本は私が作った鍼です。

文献

病気の虫、疳の虫関連に関しては南山大学の長谷川先生らがまとめられています。

  • 吉岡郁夫:虫封じ、比較民俗研究(17)147-150、2000
  • 青山京子, 戸田静男:漢方と鍼灸からの小児疳についての考察、関西鍼灸短期大学年報 17, 51-62, 2002
  • 長谷川 雅雄, ペテロ・クネヒト, 美濃部 重克他, 辻本裕成:疳の虫考(上)アカデミア人文・社会科学編(84)137-196、2007
  • 長谷川 雅雄, ペテロ・クネヒト, 美濃部 重克他, 辻本裕成:疳の虫考(下)アカデミア人文・社会科学編(86) 53-131、2008
  • 長谷川 雅雄, ペテロ・クネヒト, 美濃部 重克他, 辻本裕成:虫「虫」観・「虫」像の変遷と近代化ー「五臓思想」から「脳・神経」中枢観へ(上)アカデミア人文社会科学編、(89)151-215 , 2009 
  • 長谷川 雅雄, ペテロ・クネヒト, 美濃部 重克他, 辻本裕成:虫「虫」観・「虫」像の変遷と近代化「五臓思想」から「脳・神経」中枢観へ(下)アカデミア人文社会科学編(90)141-258 , 2010